アートを気取った落書きを超えろ

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私はとにかく子供の頃から絵を描くのが好きで、学校の休み時間は絶対に絵を描いて過ごしていたものです。私は色々なタイプの画家を尊敬していたので、色々なタイプの画法を当然真似していました。しかし中でも同級生達に好評だったのが、漫画風のタッチの絵で、実際に絵を描くだけでは飽き足らず、創作漫画も作っていたりしました。

私が作った創作漫画は同級生達の間で人気が沸騰しており、その当時はもしかして将来漫画家としても成功してしまうかもしれない等と、まさに子供らしい夢を抱いていたものです。

実際絵描きも漫画家もとても近い職業だと思うので、絵を描くことが大好きな私にはぴったりだと思ったのです。しかし漫画というのはただ単純に絵を描くだけでなく、ストーリー性も当然求められます。なので私にはとても無理だと、ある時思うようになったのです。結局漫画に関しては私は読むことだけが好きなのであって、漫画家になって将来的に食べていこうと思うまでには至らなかったのでした。

しかし依然として絵を描いて生活をしていきたいという思いを捨てることは出来ず、私は中学校高校と美術部に所属し、特にデッサンに力を入れて頑張りました。更に美術部の顧問に美大に行くと良いとアドバイスをされたので、頑張って美大を受験しました。しかし当時私はしっかりとデッサンを頑張っていたにも関わらず、どこの美大にも合格することは出来なかったのです。そして結局美大とは全く関係のない、普通の文系の大学に進むこととなったのです。そして大学卒業後は当然画家となることもなく、普通の会社員として暮らすことになったのです。

しかし普通の会社員となってからも、絵を描くということは休日の日等に行っていました。いつしか私は絵を描いて食べていけなくても良いから、とにかく自分の絵を沢山世の中に残せるような生活をしたいと思うようになりました。そして会社員である以上は定年退職するまでは難しいと思っていました。しかし還暦を過ぎてから始めても遅くはないと思ったので、とにかく会社を定年退職したら絵を描く活動に専念しようと思い、その為に貯金も必死で頑張ったものです。そして少しでも絵の創作能力を上げようと思って、いつしか絵画教室にも通うようになりました。しかしそこの教室の先生は私の絵を見て、アートを気取ったただの落書きだと言ってきたのです。私はこの先生のきつい言葉に少々怒りを覚えましたが、その先生は私が定年後は絵を描いて生活していきたいとの希望を知っていたからこそ、あえてそのようなきつい言葉を投げかけてきたのだと前向きにとらえることにしました。

その後は絵画教室に通って厳しい先生からアドバイスを貰いつつも、街をカンバスにアートとして作品を残す活動を続けていきました。私はとにかく自分が住んでいる街のことが大好きだったので、一枚でも多く街の美しい姿を描いた作品を残したいと思ったのです。そして絵画教室の先生にも随時完成した街の絵を見せて評価してもらっていました。先生は技術は荒削りだけど、街に対する愛情がよく現れている素晴らしい絵だと、毎回褒めてくれました。

すっかり自信をつけた私は更に創作を頑張ることになり、何といつしか絵画を私が教える立場になっていたのです。そして還暦をゆうに過ぎた今では弟子が2人付き、海外からも私に絵を教えてもらいたいとやってくる人が現れるようになったのです。今はこうして絵画を教える先生として生活をしているのですが、私は本当に絵を愛しているので、絵と関わりのある生活を送ることが出来るようになって、本当に心から嬉しく思うのです。当時私が通っていた厳しい絵画教室の先生が色々なアドバイスをしてくれたおかげだと思っています。

その後、人生が一転し、現在は別のキャンバス、街に直接アートを描く、ストリート・アートをメインに活動しています。

還暦祝いで最高の親孝行を

今まで育ててくれた親御さんに孝行したいなら還暦祝いは盛大にしましょう。
人生の節目ということで特別な雰囲気のお祝いにしてください。
しかし具体的にはどうすればいいのでしょうか、その日のために親戚一同で集まることをおすすめします。やはり一番のプレゼントは子供や孫に会えることです。そしてみんなにお祝いをしてもらえることが一番うれしいことなのです。誕生日の当日でなくても構いませんのできるだけみんなで集まれる日にパーティーを開くようにしましょう
そして最高の親孝行をする時に何か演出があるといいでしょう。例えばサプライズで誕生日ケーキの登場なども素敵ですし飲食店の場合でしたら店員の人と相談をしてください。
また可能であれば映像を流すのもおすすめです。今までの人生をまとめた映像もいいですし参加しているみんなで楽しめます。他にもプレゼントを渡す時間を作るのもいいでしょう。パーティー開始直後から渡すのではなく食事を堪能して一段落したところで渡した方が効果的です。
還暦祝いというのは人生で一度きりのことですので思い出に残るものにして下さい。
最高の親孝行ができれば自分たちにとってもいい満足感になります。まずは計画が大事です、希望の日にパーティーが開けるようにまずは予定している日にお店の予約をしておくようにしてください。最近ではネットから簡単に予約できますので楽です。折り返し連絡が来ると思うので忘れないようにしましょう。

自然に溶け込むアートたち

還暦を迎えたこのわたしが描きたいストリート・アート。

それはここに載せているような、街並と調和されたアート。

マンホール形や、植物がつくるフォルム、壁に入ったひびのライン・・・を生かして描くアート。

ふとした時に、それを目にして気持が明るくなれるようなストリートアートを目指していきたい。

そして、私が古希(70歳)になり、傘寿(80歳)になり、歳をとって世の中が変わってしまっても、いつもまでも残しておける作品を作っていきたい。

art02出典:livedoor.blogimg.jp

 

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超・色鮮やかなストリートアート!!

治安の悪かったメキシコの町「パチューカ」が蘇る!

pachuca-greenz.jp-http://greenz.jp/2015/08/23/pachuca_paints_itself/

パチューカは、メキシコの都市の貧困層が住むエリアで、メキシコ最古のサッカークラブCFパチューカの本拠地としても知られています。この町は他の町と比較すると、あまり裕福な環境とは言えず、暗くなると外を出歩けないほどの治安の悪さで、これまで若者による犯罪や、暴力事件の多発してきた地区です。

この地域の治安を改善しようとパチューカ政府が行ったのは、パトロールの強化や、監視カメラの設置ではなく、危険な町のイメージを一新すべく、町をカラフルにすることでした。

パチューカ政府は、アーティスト集団「Germen Crew」に声をかけ、村全体をひとつの大きなアートにしようと依頼したのです。

村全体の大きさとなると、約2万平方メートルにも及ぶ大きさで、200世帯近い住宅の壁を塗り替える作業となります。約2万平方メートルとは、東京ドームの敷地面積が4万6755平方メートルになりますので、およそその半分もの面積を染め上げることになります。

まずは、キャンバスを作るため、一旦全部の壁を白色で塗り変える必要がありました。そこから、住宅の壁をレインボーカラーに塗り替えていきますが、どの家の壁画も一つで完結することなく、隣の家と家とをつなげ、村全体がひとつのアートになっています。

このプロジェクト「Pachuca Paints Itself」のおかげで、街はカラフルな色に囲まれ、美しく色鮮やかに生まれ変わりました。その結果、犯罪率は低下し、そこに住む住人たちの気持ちまでも変えていきました。

アーティスト集団の壁を塗る作業は、住民と協力し行われ、結果として、住民間の会話が活発になりました。また、このプロジェクトにより、雇用が発生し若者による犯罪は減少され、子供たちの間でも、家と家とを仕切っていた階段の踊り場で遊ぶ姿が増えていきました。

ストリートアートによって、町の外観を変えるだけでなく、そこに暮らす住人たちの心境を明るくし、治安を改善できました。こういった人々の心も豊かにできる取組みが、他の地域にも広がっていってほしいですね。

ストリートアートの様々な描き方

スプレーやペンキで描かれるストリートアートの他に
近年、様々な手法でストリートアートが表現されている。

○ステンシル・アート (Stencil Art)

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ステンシル・アートで有名なのは、イギリス出身の覆面芸術家バンクシー(Banksy )である。イギリスのロンドン、ブリストルなどの街では、彼のステンシルアートが至る所で見かけられる。そもそも「ステンシル」とは、型染めの一種で、ステンシル・アートの場合、ダンボールや、厚紙やベニヤ板を絵柄に沿って切り抜き、型紙の代わりにする。壁面に絵柄を切り抜いた型紙を当て、 スプレーペイントやペンキで着色する。

○ウッドブロック・グラフィティ (Woodblock Graffiti)

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この手法でいうウッドブロック(Woodblock)とは、ダンボールや板のこと。ダンボールや板に描くアートのことである。道路標札や看板の様にボルトでくくりつけられ、取り外せないような工夫もしてある。

○ステッカー・アート (Sticker Art)

author:Mayunoauthor:Mayuno

ステッカーアートで有名なのは、「BNE」
彼は、アメリカ在住のグラフィティアーティストで、彼が作った白地に黒文字の「BNE」「BNE WAS HERE」「BNE参上」などと書かれたステッカーは世界各国のさまざまな場所に大量に貼られた。このようにステッカーアートとは、アーティストがシールを作り、壁や標札、看板などに貼る手法である。

○ストリート・ポスター・アート(Street Poster Art )

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イメージをポスターとして描き、壁に貼り付けることである。
フランス出身のストリートアーティストJRはこの手法の有名なアーティストである。

○逆グラフィティ(Reverse Graffiti )

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Reverse Graffitiはスプレーやペンキなどの材料を使わず、車の排気ガスなどで真っ黒になった壁の汚れを落とすことで、汚れと洗浄面の違いでアートを描いていく。フリーハンドもしくはステンシルを用いてイメージを起こし、圧力洗浄機や清掃用具などで汚れを落としていく。グラフィティーアートは無許可で行われ犯罪行為とされることも多いが、逆グラフィティは法律的にはグレーゾーンと言えるでしょう。

 

ストリートアートの主な制作方法

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ストリートアート自体、それまでに落書きがされている壁面などに描かれることが多いため、まずは、ベースになる色を一面にスプレーしそこから始める場合が多い。スプレーは、速乾性のラッカースプレーを用いる場合が多いが、下地を特に厚くする目的で、ゴム塗料を用いる場合もある。速乾性のラッカースプレーの場合は素早く制作できるがやや仕上がりが悪い。ゴム塗料の場合は仕上りこそ遅い欠点はあるが、塗料の発色や定着がよく、風雨への耐久性がある。

そのベースの上でスプレーペンキで絵を描き始めていくが、描き順としては淡い色からはじめ、段々と濃い色を重ねていく方法が取られる。濃い色→淡い色へ重ねていくと下地の色がにじみが出てしまい仕上がりが悪くなる。

作業注意として、シンナー等の有機溶剤を使用した大量のペンキを使用するため、ガスマスク着用が望まれる。

壁面などに描く際は、液垂れを防止のために、壁との間隔をとり、少量ずつ、丁寧に、素早く、一気にスプレーする。

また、シャープな線を描く時は、厚紙やクラフトテープなどでマスキングをしたり、絵筆や刷毛・ローラー等を使用して細部を描く場合もある。

こうして大体の外観が出来あがってきたところで、濃い目の色(黒・青・赤等)を使ってラインを描いて、輪郭を施して完成する。

ストリート・アートを題材にした映画『ワイルド・スタイル』

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舞台は、1982年のニューヨーク、サウス・ブロンクス。
あるグラフィティアーティストの人生を描いたドキュメンタリードラマ。

DJ・ラップ・ブレイクダンス・グラフィティアートなどのヒップホップカルチャーを世界に広めた作品。

青年だった主人公が夜な夜な地下鉄車両にグラフィティを描く場面や実際のグラフィティライターやダンサー、DJ、ラッパーなども多数登場し、ヒップホップムーブメントが生まれる瞬間を鮮明に描き出した。

キルロイ参上

キルロイ参上:アメリカで有名な落書き

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第二次世界大戦の頃、「”Kilroy was here”.」はアメリカで広まったフレーズのひとつ。

壁の向こうから長い鼻を垂らして覗く姿を描いた落書きで、アメリカ兵の間で流行り、いたるところに描かれた。

起源については諸説あり定かではないが、アメリカのキルロイと言う人物がモデルとなっている。

ジャン=ミシェル・バスキア

ジャン=ミシェル・バスキア:アメリカ出身の画家
(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 – 1988年8月12日)

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幼少の頃より絵を描き、母親から芸術的な活動をするように勧められていた。
17歳の頃より、スラム街地区の壁や地下鉄などにスプレーペインティングを始める。

1970年代後半、ブレイクダンスやヒップ・ホップなどのブラックミュージックが盛んになり始めたニューヨークで、
「落書きアーティスト」としていきなり現れ、80年代のスターとなったバスキア。

彼は、白人至上主義の美術界に挑戦し、一気に彼独特の世界を築き上げたが、
彼は27歳の若さで薬物依存症に陥り、短い人生を駆け抜けるかのようにこの世を去った。

キース・ヘリング

キース・ヘリング:アメリカ出身の画家

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『ストリートアート』の先駆者的な存在。1980年代、アメリカ代表の芸術家の一人として知られる。

ユニクロでは、キースの作品をプリントしたTシャツが販売されていることもあって、黒い線とカラフルな色使いで構成された彼のシンプルな絵は日本でも広く知られ、人気が高い。

1980年に、サブウェイ・ドローイングと呼ばれる活動を始めたキースは、地下鉄構内の広告掲示板に黒い紙を張り、その上を白色のチョークで絵を描き始めた。そこに描かれた絵がニューヨークの通勤客の間で話題となり、キースの名が有名になった。

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    アートの世界で老後を過ごしたいと願っています。最近はストリート・アートに目覚め、弟子を引き連れて日夜CITYに生き様を残しています。もちろん許可を得てからやってます。休日は『スプラトゥーン』でインクを撒いてます。
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